虫の声 多貮の諫鼓鶏 2020/9/11(金) 21:17 |
今日は陽が沈んだ後、日比谷図書館へ。 秋の日はつるべ落としとはよく言ったもので、18時過ぎにはもう暗くなっていました。 皇居も走っている人は少なく、丸の内の摩天楼の足下でも秋の虫がよくないていましたが、日比谷公園の中はうるさいくらい鳴いていましたよ。夜のママチャリはちょっと怖かったです。 日比谷カレッジの「勧工場の時代〜江戸の商慣行と百貨店の狭間で」という講座、講師は西木浩一先生でした。会場はソーシャルディスタンスをとってあり2席は開けてありました。三越が呉服屋からデパートに変化する様子など興味深いお話でした。
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知ってますか日比谷公園の由来 団塊の世代 2020/9/13(日) 0:03 |
参考までにこんな記事がありましたので照会します。 幕末、この地は鍋島家、毛利家などの屋敷でした。 明治になって日比谷操練所(のち練兵所)が設置され、近代陸軍発祥の地などともいわれています。 練兵所が青山に移転した後、この地を公園とすることが決められ、「日本の造林学と造園学の始祖」といわれる本多静六博士が洋式公園を設計し1903(明治36)年6月1日に日比谷公園が開園しました。 日比谷公園の東南側に日比谷公会堂と一体となった市政会館があります。前者は東京都の所有です。 かつては都内ほぼ唯一のコンサートホールでもありました。後者はオフィスを中心としたもので後藤・安田記念東京都市研究所の所有です。 後藤・安田記念東京都市研究所の前身は「東京市政調査会」。東京市長だった後藤新平(1857 〜1929)が、民間の独立機関として構想したもので、1922 年に設立されました。 いまNHK の連続テレビ小説「エール」に出てくる「コロンブスレコード」ことコロムビアレコードは、1929(昭和4)年から1933(昭和8)年までの4 年間、この市政会館の中にありました。明大を卒業した古賀政男氏や、古関裕而氏が出入りしたのはこの「市政会館」の時代だったといいます。 参考文献 「ニッポンのうたの夢職人たち」(飯塚恆雄著) 「市政会館の歴史的評価」(「都市問題」2020 年3 月号) 因みに日比谷図書文化館は千代田区立です。
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