小川町二丁目南部町会長 梶 栄太郎 氏(かじ えいたろう)平成19年5月〜平成28年6月
いよいよ20回目の「町会長いんたびゅー」となる今回のお客さまは、 ご存知「顔のワイシャツ」のご主人、小川町二丁目南部町会の梶 栄太郎会長さんです。 朝からぐんぐん気温が上昇した7月7日(火)午前10時、遠くから見える"大きな笑顔"を目指し、 小川町交差点近くの梶会長のお店をお訪ねしました。 ワイシャツを作る大きな木製の作業台を挟んで、 インタビュアーの斎藤さん(内神田鎌倉町会)とのお話が、 初対面とは思えないほど軽快なテンポで進んでいきます。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ |
小川町二丁目南部町会さんは、大好き神田の町会ガイドに花壇の写真を掲載していますが、町会で管理されている花壇なのですね。
梶 会長: 小川町の交差点は以前は、タバコの吸殻がずいぶん捨てられていましたが、前町会長(宮越太米造氏)のときに、皆で相談して町会で予算を組んで、花壇として管理しようということになりました。 東京都の第一建設事務所と覚書を交換して歩道上を借り、年4回の植え替えをしています。おかげで今ではすっかりきれいになりましたが、汚れたときにそのままにしておくと、どんどん汚れてきます。日常的に町会の皆さんが目配りをしていますが、最近、また吸殻が増えてきて、ペットボトルなども捨てられていることがあります。 |
町会で最近気になることはありますか。町内にワンルームマンションができて・・・とか、他では聞きますが。
梶 会長: マンションはないですが、だんだん大手町方面からの法人化が進んで、ビルばかりになり、住む人がいなくなってきました。 斎藤さん: 昔は相当な数の方が住んでいらしたのでしょう。 梶 会長: 裏通りには、ずいぶんいましたよ。西村鰻店とか、有名な親父さんがいてね。お客の注文があってから鰻を焼くから、2時間くらいかかりましたね。上手いけどね。 僕には天然も養殖もよくわかりませんが、今の鰻は天然のものはほとんどないでしょう。 また、東京のかば焼きと、関西のかば焼きでは作り方も違うんだよね。裂き方から違う、東京では切腹を嫌って背開きをする。関西では、腹開きですね。焼き方も東京では蒸してから焼くんですか、食感も違いますね。 斎藤さん: 会長さんは鰻がお好きなんですね。 梶 会長: 80歳ですよ。この歳だと鰻でも食べて頑張らないと、こんな小さな店でもやってるんですから。 斎藤さん: とてもお歳には見えませんね。楽しく元気に神田の街で商売をやっている、これが大事なことですね。 全国的に“顔のワイシャツ”さんは有名ですよ。道頓堀の看板に対抗できるのは、顔のワイシャツの看板しかないと聞いていますよ。 梶 会長: 遠くからも見ていただけるからね。やっぱりホームページを見てくるのかしら。 先日、“顔の枠がヒラヒラしていますよ”と、お客さんに教えられて取り替えたばかりです。 |
斎藤さん: 神田から出て行った友達も、“この看板を見ると神田へ帰ってきた気がする”と言います。 梶 会長: 90年近くやっている店ですから。 (写真は小川町の交差点から) 斎藤さん: 街として大切なのは、変わらないところに変わらない建物やお店があるということです。 建物は元々、人の寿命より長いので、昔は、ここにあったという建物は、必ずそこにあったのですが、今は、りっぱな建物が20年から30年で無くなってしまいます。 |
梶 会長: もったいないですね。街を歩いていて昔のビルを見るといいなあと思う。大手の不動産会社のビルは何か温かみがない気がするね。僕が生まれたところは城下町だったので、東京に出てきた頃は古い街並みが懐かしく、どっしりした建物を見たくて老舗を回って歩いたものです。 |
ご自身のことを伺います。趣味は何でしょうか。
梶 会長: 特に言われても、ありきたりですが、写真と散歩ですね。文京区を歩きまわって…。 斎藤さん: 僕と同じですね。カメラは銀塩のですか。 梶 会長: デジタルは使いません。ローライで家族の写真を撮ると、「しわの一本一本が見える」と女房が嫌がって、ぼかして写していました。 今の人は、“6×6”と言ってもわからないでしょう。 |
散歩はどの辺に行かれるのですか。
梶 会長: 小石川後楽園や六義園に行きます。六義園は、巨木が良く保存されていて素晴らしいです。今の季節は新緑ですね。両園とも入ってすぐの所に大きなしだれ桜がありますね。後楽園が徳川光圀のとき、六義園は綱吉のときだから、六義園の造園が後楽園より少し後になるかな。綱吉は確か、4代目か5代目でしたが、忘れました。やはり、電子辞書とかでピピッと、あれ買わないとだめかな。 斎藤さん: パソコンを買われたらどうですか。町会長さんたちが、出張所との連絡をパソコンでやると便利ですね。 梶 会長: 自発的にはやらないでしょう。無理やり押し付けて、義務として何か提出してくださいというのはどうかしら。 斎藤さん: 梶会長さんは、はまりそうなタイプですね。 梶 会長: はまりそうで怖いね。仕事柄細かいことは平気ですから。 |
子供のころのニックネームは何ですか。食べ物でも何でも、これだけはという“こだわり” があればお話しください。
梶 会長: 西郷隆盛です。「セイゴウさん」と呼ばれていました。太っていたからかなあ。 出身は岡山県の津山市です。高校まで津山にいて、大阪で銀行に採用になりました。明治大学の二部に受かっているので近くの支店に勤務させて欲しいと言ったら、神田支店勤務になりました。 大学まで5分足らずでした。夕陽がポカポカ当たる校舎で、よく居眠りをしていました。日曜日は神宮球場に六大学の応援に行き、それが体育の単位になりました。結構、忙しかったですね。 食べ物では、東京にきて納豆を初めて食べましたが、ダメでしたね。今でも粘り気のあるものは食べられないです。 斎藤さん: あるテレビ番組で、どこそこでは地元の人はこんな食べ方をするという紹介があって、皆さん最初は“えーっ!”と言うのですが、食べてみると案外美味しいじゃないというのがありますよ。(笑) 梶 会長: 御雑煮のお餅も僕は丸餅を赤味噌で食べます。関東は切り餅を焼きますが、私は未だに丸餅で、子どもたちも同じです。お餅は丸餅、それが、こだわりですかね。 (写真は、銀行時代の同期会で 平成14年3月撮影) |
最後に町のコミュニテイ活性化に大切なものをお聞かせください。
梶 会長: 今は、コミュニテイの過渡期で、即答は難しいですね。ありきたりですが、町の慰安旅行かなあ。日帰りでも泊まりでもいいですね。一昨年、錦町三丁目第一町会さんと合同でバスハイクに行きましたが好評でした。 (写真は、会長が撮影した小石川後楽園) |
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