司町二丁目町会長 大井 孝一 氏(おおい こういち)平成21年6月就任
立冬も過ぎ、いよいよ冬の到来を感じ始めた 平成21年11月13日(金)、 久々の町会長いんたびゅーのお客様としてお招きしたのは 司町二丁目町会の大井孝一町会長です。 大井会長は、明治37年創業の老舗酒店「森田屋酒店」の3代目 老舗酒店ならではのお酒談議も出てくるのでしょうか。 インタビュアーは、内神田鎌倉町会の斎藤光治さんです。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ |
今年の6月に町会長さんになられて約5か月ですが、いかがですか。
まず郵便物がぐんと増えましたし、会議や町会関連の仕事が多くなりました。半年くらい前は、ちょうど弟の体調が良くなくて、はたしてお役に立てるかどうか心配でしたが、古川前会長に“会議など出られなかったり、無理だったら、その時は私が代わりに出るから”と言われて、お引き受けしました。 古川前会長さんは先日、病気で亡くなられましたが、まさに神田の男のお手本でした。こういう人は、もう、ちょっといないでしょう。立派な方の後なので、一生懸命やるしかないですね。 |
会長さんは、青年部長を長くされていましたが、皆さんそのあたりから、少しずつ自然に町会の仕事をいろいろ覚えていくのでしょうね。
若い時に、青年部のつながりで他の町会の方と顔見知りになっているのは大切ですね。 青年部長を経験したあと、町会に入って少しずつ仕事を覚えて、お祭りの世話人なんかやると、別の町会とのつながりも出てきますから対外的なこともスムーズにいくようになる。 現在の町会の役員さんたちは、皆さん僕より年上なので、次に引き継いでくれる人を育てていくのが僕の仕事ですね。若い人は、頼めばみんな気持ちよくやってくれるのですが、どうやればいいか、やり方がわからないのです。指示すれば、よくやってくれますよ。これからは若い人にもどんどん町会の仕事を覚えていってもらわないと。 |
会長さんは小さい頃からずっと神田にいらっしゃるのですか。屋号の「森田屋」さんは酒屋の屋号ですか。
祖父が新潟の出身なのですが、近所の方で日本橋蠣殻町で「森田屋」という酒屋をやっていた方がいて、そこで奉公をした祖父がのれん分けをしてもらい、ここで店を出しました。 僕は三代目です。生まれたのは、昭和18年10月、戦時中です。 (左の写真は生後8か月のときに、お店の前で撮ったもの) 昭和25年に幼稚園の年長組のときは、松・竹・梅と3組あり、小学校も合わせると神田小学校・幼稚園で合計800人もの子供が通っていました。 |
最後列で、一番大きな男の子が大井会長(昭和25年) |
趣味は何ですか。会長さんは苦手なものはないでしょう?
今はゴルフですね。町会でも春と秋にゴルフ大会がありますが、やはり数をこなさないとなかなか上手くならないね。 若い時は、ボートですね。 高校二年のとき、ボート部を辞める友達の代わりに入部させられて(笑)、ボートのボの字も知らずにいきなり練習に入ったのが始まりでした。大学時代もずっと続けて、右の写真は、24か25歳の時に名古屋の愛知池で撮ったものです。正面を向いている一番前が僕です。コックスの前に座っています。ポジションはストロークです。ストロークはどこでスパートをかけるか、落とすかのペース配分を判断します。この頃は、足の太ももが大きくなりましたね。コックスは舵取り役で、体重が50kgと決まっていて軽いと砂袋を載せました。 |
矢作川で実業団のレースがあり、それに参加するため、夕方、戸田に集まって練習をして終わると必ず池袋で飲みました。楽しかったですね。 オックスフォード・ケンブリッジ大学対抗のボートレースで有名なテムズ川のように、川の淵にクラブハウスがあって、仕事が終わる家族でそこに来て一杯やって帰る、というのはうらやましい話ですね。 (左の写真は、戸田橋の上から撮ったもの) |
苦手なことは、人前で話をすることですね。 古川 前会長の挨拶は素晴らしかった。簡潔で的を得ていて、適当にユーモアも入れて、聞いていて安心できました。でも、そういうのも訓練ですね。場数を踏まないとなかなかそうならないですね。悩みの一つです。 (右の写真は、平成20年11月の町会のレクリェーション旅行で榛名山へ行った時) |
インターネットで慶応の端艇部のホームページをご覧になれば、現役の方たちの活躍も見られるしネット上の交流もできますが、会長さんはパソコンはされないのですか。司町二丁目町会の町会長さんが「神田児童公園の銀杏の樹が色づいてきました。見に来てね。」と写真をつけて「ひろば」へ投稿したら素敵ですね。
神田児童公園のイチョウの樹は銀杏はできないですね。 酒屋でもホームページを作っている店もあるけどね。今は携帯も持ってないし。パソコンは町会長を辞めたら始めようかな。まあ、頭の隅に入れておきます。 今、酒屋が生き残るのは大変、これからは、よほど特色ある酒屋でないと生き残れないですね。 酒の種類が増えて若い人はジュース感覚で飲めるライトなものを好むようになってきましたね。税金の多いビールも消費が落ちて、その分、第三のビールが伸びています。飲んでいるうちに慣れて満足感も出てくるのでしょう。我々年寄りは日本酒とか焼酎などヘビーなものを好むけれど量的には少なくなっているので、全体的な酒の消費は減ってきています。昔は、テレビの宣伝も、ウイスキーの宣伝など今でも覚えていますが、見て楽しめるものが多かったですね。 |
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